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Chasing Ghosts チェイシング・ゴースト/兄を亡くした少年

アメリカ映画 (2014)

トビー・ニコルズ(Toby Nichols)が主演する「幽霊騒動+トラウマを抱えた少年の癒し」のドラマ。この映画、邦題をどうするかで迷った。原題は“Chasing Ghosts”。よくある幽霊映画的に訳せば「ゴースト・ハンター」。だが、この映画は、そんな内容ではない。兄を交通事故で亡くし、それがトラウマとなって、墓地での埋葬をビデオ撮影して動画をネットに上げることが趣味〔迷惑な悪趣味〕になってしまった少年。ある雨の日に撮った映像の中に白いゴーストのようなものが映っていた。早速ネット上で公開したところ、あっという間にアクセス数が30万回を突破し、一躍マスコミの寵児に。ここまでは、幽霊が話題の中心。しかし、映画は、そこから全く異なる方向へと進んでいく。埋葬ビデオを撮る原因となった兄への想いと、隣の少女に対する淡い想いに悩む12歳の少年が、ふとしたことから親しくなったクリス(ティム・メドウス)のアドバイスを受けて立ち直っていくという感動のドラマだ。前半はコメディ、後半はシリアス。2本の映画が無理矢理にひっつけられている感じ。邦題は、後半にも配慮して「兄を亡くした少年」と付け加えた。この映画の見どころは、単独主演のトビー・ニコルズの演技力だろう。あらすじで紹介している写真を見ても、同じ俳優だとは思えないような表現や表情の多彩ぶりには驚かされる。トビーは、この作品でヤング・アーティスト・アワードの最優秀DVD男優賞を受賞している。DVDが付いているのは、劇場公開されずにDVDスルーとなったため。アメリカのAmazonで安価に買える。

11歳のルーカスは、1年前に大好きだった兄ジェイクを交通事故で亡くしてから、ずっと元気がなく、定期的にセラピーに通っている。セラピストが一番心配していたのが、ルーカスが両親に内緒で墓地に行き、他人の埋葬シーンをビデオで撮影し、それをネットで公開するという変な趣味にはまっていたこと。8歳の頃から、映画監督にあこがれてビデオ撮影が趣味だったが、それに、兄の死のショックが加わって生まれた「11歳の少年には相応しくない」異常な行動だ。しかし、ある雨の日にルーカスが撮影したビデオが元で、密やかな悪趣味は、万人が知るサプライズへと変貌していく。ビデオに写っていた「幽霊」らしきものが、ネット上で話題を呼び、ニューヨークの有名なモーニング・ショーに呼ばれる頃には、ヒット数1000万を超える。このビデオは、ヒット数300万を超えたあたりで地元のマスコミから注目されるようになり、ルーカスは変人を超えて一躍有名人に。それは、ルーカスが望んだわけではない予期せぬ展開だった。お祭り騒ぎを加速させるような両親に失望し、ルーカスは臨死体験の本を書いた地元作家のクリスにコンタクトする。そして、ボランティアでバスケットのコーチもしているこの好人物と付き合う中で、悪趣味なオタクから普通の少年へと成長していく。しかし、折悪しくクリスが心臓発作で再び倒れる。前に発作で臨死体験をしているほどなので、2度目の発作は命にかかわるものだった。それを知ってルーカスは悲嘆にくれるが、クリスと会って学んだ経験が役立ち、兄の死の時のように絶望から心を閉ざすのでなく、クリスの思い出とともに生きようとする新しい道を見つけるのだった。

トビー・ニコルズは可愛いだけでなく、演技力も素晴らしい。映画での設定は11歳だが、撮影時は12歳。そろそろ表情がワンパターン化する年齢だが、トビーの場合は違う。1つとして同じ表情がないと言えるほど、顔の表情がどんどん変わる。途中で6人の映画監督の真似をするシーンがあるが、そういう意味ではなく、日常的なシーンの中でその時々に合った表情を、オーバーではなく自然にして見せる。


あらすじ

場所は、テネシー州ナッシュビル。11歳のルーカスが、撮影しながらビデオに向かってナレーションを吹き込んでいる。「また、轢死だ」(1枚目の写真)。「タイヤ痕から疑われるのは…」と言って、向かいの女性を写す。死んでいたのはリス。ルーカスが、轢死事故に拘っているのは、1年前、12歳だった兄ジェイクがスケボー中に老婆の運転する車に撥ねられて死んでしまったからだ。撮影は、母からの「ルーカス、朝食よ!」によって中断されるが、キッチンに入った後も、ノートパソコンで以前に撮影した墓地での埋葬シーンを確認する(2枚目の写真)。埋葬シーンの撮影がルーカスの最大の趣味なのだ。もちろん、それには兄の死が関係している。しかし、映画では、背景説明がないので、最初は単に気味の悪い少年としか見えない。母は、「カウンターにはラップトップを持ち込まないって約束したはずよ」と言うなり、動画のアップロード中なのを無視して、パソコンのコードを抜かれてしまう。映画は、その日の授業の一コマを描いた後、隣に住む同じクラスの女の子と一緒に歩いて帰るルーカスを映す。大形のヘッドホンで音楽を聴いているので、女の子が話しかけても無反応。家の前に着くと、今朝発見したリスの死骸の「その後」を撮影する。「なに撮ってるの?」。「別に。僕の映画のためのBロール〔資料映像〕さ」(3枚目の写真)。「ひき逃げね。多分あの人よ」。少女が想像したのも同じ女性。余程受けが悪いのか。
  
  
  

次のシーン。ルーカスは、セラピストの部屋で、ソファーに横になって質問を受けている。兄の事故死の後、両親が定期的に通わせている。「ずっと、そんな映画を撮ってるの、ルーカス?」。「少しだけ」。「お葬式の撮影のどこが好きなの?」。肩をすくめて答えない。「ご両親には見せたの?」。「まさか」。「どうして?」。「気に入るとは思えない」。このシーンと平行して、ルーカスが雨の中を墓地に入って行く姿が映される。見つかるといけないので傘はさしていない。全身ずぶ濡れだ。木の陰に隠れて、埋葬されるのをビデオに収めている(1枚目の写真)。棺の前で死んだ夫に最後の別れをする夫人。その左に白いものが映っている(2枚目の写真)。それに気付き驚愕するルーカス。さっそく家に飛んで帰り、雫を垂らしたまま自分の部屋に駆け込む。そして、撮影した映像データをパソコンに移す。ディスプレイにも、はっきりと白いものが映っている(3枚目の写真)。濡れた廊下と階段を追って上がってきた母が、「ルーカス、ドアを開けなさい」と強く言う。「今、着替え中だよ」。「床じゅう、泥だらけじゃないの!」。「後で、掃除するから」。「食事は? 夕食できてるわよ」。「ママ、すぐ食べるから」。ルーカスは、動画に「?」の題名をつけて、ネットにアップロードする。
  
  
  

結局、ルーカスは掃除にも食事にも行かず、そのまま机にもたれて寝てしまった。母に、「お早う、寝ぼすけ君」と起こされる。「また、机で寝ちゃったの? ほら、起きて。パパが学校まで送ってくれるから、遅れちゃダメよ」。実に眠そうなルーカス(1枚目の写真)。それでも、つけっ放しのパスコンを確認すると、動画は7,436回再生されていた。一晩ですごい回数だ。学校に行く前、父に、キッチンのカウンターで画面を見せ、「ねえ、これ何だと思う?」と言うが、父は、ろくに見もせず、「さあな。子供がアプリでそんなことできる方がびっくりだ」。学校に送って行く途中で、父は、「なあ、コンピュータばかり見てるのは どうかと思うぞ。昨夜も机で寝てたそうだな。体に悪い。ちゃんと休まんと、学業に差し支えるぞ」。父としては、息子にスポーツをやって欲しいのだが、「パパ、それはないよ(that's not gonna happen)」とあっさり否定されてしまう。「人生、やることはいっぱいあるぞ、変なビデオを作るよりな」。「そうだね、スケボーするとか」。事故死した兄のことを指したこの一言で、父は何も言えなくなってしまう。ルーカスは、学校の図書室に置いてあるパソコンで、こっそり自分のサイトを見てみる(2枚目の写真)。再生回数は23,457に増えている。その数の多さに喜ぶが、伝言板に書かれた意見に、「Sooooo FAKE!(ひど~い、インチキ!)」「That’s so stupid. TOTAL FAKE(バカげてる。全部インチオキ)」「Such a scam!(ひどいサギだ!)」のようなものが多いのを見て悲しくなる(3枚目の写真)。
  
  
  

その夜、家族で夕食をとっている最中。硬い肉に悪戦苦闘していたルーカスは、TVから流れてきた言葉にハッとする。「死。それは、どんなものでしょう? 次は、じかに体験された地元作家のクリス・ブライトンにお話を伺いましょう。最近『今は、生きている』という本も出版されました」。地元TV局のインタビュー番組だ(1枚目の写真)。クリス、心臓発作で9分間死んだ後に蘇生した無名の作家で、現在はボランティアでバスケットのコーチもしている。クリスに興味を持ったルーカスは、「部屋に行ってもいい? 宿題があるんだ」と嘘をついて席を立つ。そしてネットでクリスのことを調べ、直接メールを出す。一方、クリスはネットカフェに行ってメールをチェックしている〔自宅にネット環境がないのが不思議だ〕。一番上にルーカスからのメールが入っている。「僕の名前はルーカス。11歳です。TVで、死についてのインタビューを見ました。僕は、別な日に変なものを撮影しましたが、あなたにはそれが何か分かるのではと思いました。動画はYouTubeで50万回以上再生されました。死について、インタビューできますか?」。添えられていたURLをクリックして幽霊の動画を見るクリス。そして、すぐに、ルーカスにメールを送るが、そこには、「なぜ他人の埋葬を撮影するんだい? 君の年ならスポーツをしてなくていいのかな?」などとしか書いてなくて、ルーカスはがっかり。朝、ルーカスが朝食に降りて来ると、そこに電話がかかってくる。それは、TVのローカル局からの取材依頼だった。息子がTVに出るということで興奮する両親。母は、ルーカスを車で連れ出し、自分がインタビューを受けるわけでもないのに、モールの女性服売り場に直行。何度も試着しては、「ルーカス、これ、どう思う?」。「ママ、前に試したやつと同じだよ」と顔も上げずに答える。完全に白けているのだ。一方、クリスがネットカフェに行くと、ルーカスからの返信メールが入っている。「スポーツに夢中になるには やめました。映画を作ってます。僕は、ただ、死について幾つか質問したいだけです」。それを読み、クリスは、ルーカスのフルネームで検索し、兄が事故死したことを知る。そして、ルーカスにメールを送る。「死についての別なインタビューも悪かないな。明日はどうかな? 君のお好きな場所で」。ルーカスが指定した場所は、当然いつもの墓地。大きな木をバックにクリスを座らせ、三脚を立ててきっちりインタビューを始める(2枚目の写真)。「条件が1つある。君が1つ質問する度に、俺も君に1つ質問する」。「いいよ、後で編集でカットするから」。そう言って始まったインタビューはごくありきたりの内容。「僕が撮影したもの、何だと思う? 幽霊?」。「俺は、幽霊を信じちゃいない」。「じゃあ、何だと思うの?」。「分からんな。だが、いい質問だ。それに、質問することは 何も悪くないんだ。時には、探してる答えが得られないこともある」(3枚目の写真)。
  
  
  

インタビューを終えと、クリスはルーカスと一緒に家まで付いて行く。家の前に停まっているTVの中継車を見て、クリスは「俺は、山ほどインタビューを受けてきた。楽しんで来い。きっと気に入るぞ」とサジェスチョン(1枚目の写真)。ルーカスが墓地でクリスをインタビューしていたことで、TV局の取材には1時間も遅刻になっていた。カメラをすべてセットしてイライラしながら待つインタビュワーの女性。母が、いろいろと自慢話をするが、生返事しか返ってこない。そこに、ようやくルーカスが現れる。母は、「1時間も待ってるのよ、ルーカス。どこにいたの?」(2枚目の写真)、「着替えてる時間はないから、すぐ行きなさい」と肩からカバンをかけたまま居間に行かせる。ノックせずにドアを開けたルーカス。「まあ、あなたがルーカスね?」と笑みを浮かべるインタビュワーを無視して、イスに座り、カバンを床に置く。「じゃあ、始めましょう」(3枚目の写真)。インタビューのシーン自体は映画にはない。終わった後、「どうでした? あの子は?」と母が訊いたのに対し、インタビュワーは、「とても良かったですわ」の後、「もし 他にもインタビューを受けさせるお積りなら、忠告してもよろしいかしら」。「もちろん」。「息子さんを検眼医に連れて行かれた方がいいですよ」。
  
  
  

この不思議な言葉が何を意味するかは、その夜の放送で明らかになった。両親が楽しみにして始まったインタビューで、ルーカスはわざと寄り目をしていたのだ(1枚目の写真)。それを見てがっかりする両親。逆に、してやったりとばかりに喜ぶルーカス(2枚目の写真)。翌日、学校に行くと、前夜の放送でルーカスは注目の対象。といっても、墓地に行ったことで変人扱いされたり、嘘つき呼ばわりされたり、寄り目をからかわれたり、先生からは白い目で見られたりと、楽しいものではなかった(3枚目の写真)。
  
  
  

しかし、そうした状況は一変する。地元TVのニュースで、「ルーカス・サイモンズは、今や話題の人となり、彼の最近のビデオ『誰の幽霊?』は、YouTubeのヒット数が300万回を超えました」と紹介されるに至り、取材の依頼はどんどん増えていく(1枚目の写真)。スタジオでのシーン。キャスターが、「超常現象の映画製作者ルーカス・サイモンズが、私たちが求めている大きな質問に答えてくれます」「死後の世界はありますか?」。「僕、ホントに何も知りません」(2枚目の写真)。そして、りんごを齧って肩をすくめる。要は、ルーカスはTVに出ることに何の興味もないので、好き勝手に振舞っているのだ。それでも、相次ぐTV出演によって、自宅の前には人だかり。ファンができたり、サインを求められたり(3枚目の写真)。このあたりは、映画の中で最もコメディっぽい場面だ。セラピストから、「ご両親は、ビデオのこと どう思ってるかしら?」と訊かれ、「人生最良の出来事」。「どうして そう思うの?」。「ママは、注目を浴びて大喜び。でも、パパはお金持ちになる方に興味が」。「ただ、興奮してみえるだけかもよ」。「ご親切にどうも(Nice of them to care now)」。皮肉っぽいルーカスの口調が面白い
  
  
  

クリスに誘われ、バスケットの練習風景を撮りに行ったルーカス。三脚を立てるが、レンズには蓋をしたまま。最初から撮る気が全くないのだ。そのことを、練習後のクリスから、「俺は有名な監督でも何でもないが、いい映像を撮ろうと思ったら、レンズの蓋を外す必要があるんじゃないか」と皮肉を言われ、「面白いね」と答える。「有名人になった気分は?」と訊かれ、「すごく変な気分。ある女の人なんか、お金払うから死んだ亀を戻して欲しいって」。「両親は、何してるんだ?」。「それがどうしたの?」。「ほとんど話題にしないだろ。マスコミ攻勢で影響を受けてるはずだ」。「そんなこと、どうだっていいじゃないか」(1枚目の写真)。「ごめんよ。怒るとは思わなかった」。「こんなことで注目を浴びたくなかった。放っといて欲しいんだ」。クリスは、ルーカスの気分を変えてやろうと、ボールを渡す。「プレーなんかしない」と言うのを、バスケットゴールの前に呼び寄せ、ゴールネットめがけて投げさせる。ボードにも当たらない。「言ったろ。下手だって」。それでも、ボールを拾ってきて(1個しかない)、「こうやってみろ」と教えるクリス。全くやる気のないルーカスの顔がいい(2枚目の写真)。それでも、くり返しているうちにだんだん良くなってきたらしく、2人揃って建物から出て来た時には、「かなり良くなった」「最初のうちは15回に1回でも、それが10回に1回になり、巧くなるんだ」。それを聞いてにっこり笑うルーカス(3枚目の写真)。しかし、外では母が車で待っていて、遅いとばかりにクラクションを鳴らす。、TV出演の話が立て込んでいるのだ。
  
  
  

母:「電話がひっきりなしに掛かってくるわ」。父の方は、マーケティング代理店からの手紙を読んでいる。「息子さんと一緒に一度お会いして、今後の戦略を一緒に立てさせて欲しい」という依頼文だ。こうなってくると、ルーカスはもはや一種の商品だ。母:「来週のインタビューのスケジュールを立てておいたわ」。「僕には、選択の権利もないの?」(1枚目の写真)。スケジュールに熱中しているので、「なんて?」と母。そんな母に向かって両手で念力をかけるような仕草をするルーカスが可愛い(2枚目の写真)。そんな姿を見た父が、「なあ、坊主、大変なことは分かる。だが、これはウチにとっていいことなんだ。お金が必要だからな」。イライラしながら部屋に戻ったルーカスは、壁に貼ってある「尊敬する映画監督」の写真を見るうち、名案を思いついて満足そうな表情になる(3枚目の写真)。
  
  
  

ルーカスが思いついたアイディアは、壁に貼ってある監督の扮装でインタビューに出演すること。順番に、ジャン=リュック・ゴダール(1枚目の写真)、イングマール・ベルイマン(2枚目の写真)、ウディ・アレン(3枚目の写真)、ティム・バートン(4枚目の写真)、クエンティン・タランティーノ(5枚目の写真)、そして、『鳥』のヒッチコック(6枚目の写真)の順となる。似ているかどうかは別として、一種のお遊びだ。その後、屋外のコートで、クリスのブロックを破ってルーカスが見事にシュートを決めるシーンがある。「やったな。良くなったぞ、7回に1回だ」。「そんなに下手じゃないのかも」。練習が済んで、クリスが「最近、えらく役者じゃないか。君のインタビューは全部見てる。面白いぞ。俳優に転向したのか?」。「ただ、楽しもうとしただけ」。「そうか」。「耐えられなくて」。この時の一種の表情がすごくユニーク(7枚目の写真)。6人の物真似より余程すごい。クリスは最後に、「名声なんて、すぐに消えちまうぞ」。「そう願うよ」。
  
  
  
  
  
  
  

ところが、ルーカスが帰宅すると、母が嬉しそうに飛んで来る。「どうしたの?」。「こっちに来て、座ってちょうだい。あなたに、サプライズがあるのよ!」。「ニューヨークに行くぞ」。「なぜ?」。母が、「ちょっと待ってて」と言い、隠してあった派手でサイコ的な衣装とともに現れる。「それ、何なの?」。「ニューヨーク用よ。グッド・モーニング・USA〔有名なグッド・モーニング・アメリカのもじり〕用に、新調したのよ」。「ママ、ニューヨークには行きたくない」。「NBCに出演できるのよ!」。「インタビューは全部やったと思ってた。ニューヨークなんか行きたくない。行くもんか!」。「悪いんですけど、もう行くって返事しちゃったの。それに、これが最後よ」。呆れて、母の顔を見るルーカス。1つ前の写真と同じ子役とは思えないほど表情が違う(1枚目の写真)。そして、ニューヨークで。「子供によるセンセーショナルな爆発的ネットアクセス」のタイトルで紹介されたルーカス。ただでさえダサい衣装にうんざりしているところに、司会者のCarson Dale(Carson Dalyのもじりか?)から、「単刀直入にいこう。どうやってビデオに細工したんだい? すごくリアルだからね。君は史上最年少のP・T・バーナムだな」。バーナムは19世紀の有名な興行師(ホラ話とサーカス)。ルーカスがその名前を知っていたとは思えないが、言葉の前半の部分だけで頭に来ていたはず。それに追い討ちをかけたのが、女性キャスター。「11歳にして、学者や科学者を欺けたって、どんな気分がするものなの? でっちあげ以外の何ものでもないって、見抜けないなんて」(2枚目の写真)。ルーカスは、これで完全にキレた。「あれは… でっちあげ… じゃない」。「そうか、ところで、ルーカス。君のビデオは、1000万回以上ヒットしている。もし、ビデオが本物なら、何を捉えたんだと思ってる?」。質問には答えず、スタジオ内で談笑する両親を睨むように見るルーカス(3枚目の写真)。そして、何の断りもなしに席を立つと、スタジオから出て行ってしまう。
  
  
  

ルーカスを追って行き、「その場で止りなさい」と命じる母。「いったい何のつもりなの?! 私たちを破滅させるつもり?!」と叱る。しかし、金儲けに余念のないはずの父の方が、理解が早かった。「ルーカスをインタビュー攻めから解放してやる時かもしれん」(1枚目の写真)、「さあ、行こう、坊主。心配するな」。自宅に帰ったルーカスは、夫婦喧嘩と直面する。どっちが事態をエスカレートさせたかで、お互いに責任をなすりつけ合っている。いつ果てるともない激しい口論にルーカスは不安になる(2枚目の写真)。こんな時、ルーカスにとって一番の頼りになったのがクリス。夜、クリスの家に玄関に座って悩みを打ち明ける(3枚目の写真)。「あんなに激しく争うの、見たことないよ。離婚すると思う?」。「夫婦は喧嘩するものだ。そうかといって、離婚するとは限らん」。「2人とも嫌いだ」。「なあ、そんなに嫌っちゃいないだろ。芽キャベツが嫌いなら分かるが、君の両親はそれほどひどくない。両親を怒ってる気持ちは分かるけどな。あれじゃぁ、ベスト両親には選らばれない」。「選らばれない? ノミネートすらないよ」。収まらないルーカスの怒りに、クリスは、「なあ、頭にくるのはいい。だがな、君が学ぶべきこともある。許すことだ。時には、それしか途がないこともある。もし許せないと、先に進めないぞ」。この辺りから、映画の方向性ががらりと変ってくる。
  
  
  

家では、ルーカスに姿が突然消えたことで、両親が心配し始めた。父は、外へ探しに出かけ、母は待っている間に、昔のスナップ写真を取り出し、兄ジェイクが生きていた頃のルーカスと一緒の写真を見ながら涙を流している。そこに、帰宅したルーカス。母は、「心配してたのよ」と言い、それまで自分が見ていた写真のことを語り、久しぶりにジェイクのことを2人で語り合う。それまでタブーになっていた話題だ。「いなくなって寂しいよ」。「分かってるわ。ごめんなさいね。心から愛してるわ」(1枚目の写真)。自分の部屋に戻ったルーカスが、改めてアップロードしたサイトを見ていると、「スーザン・パーカー」という名前がよく出てくる。内容から、自分が写した葬儀の喪主の女性に違いないと思い、自分の行為を詫びようと決心(2枚目の写真)、ナッシュビルに住む同名の5人の住所を控え、地図の上に印を付ける(3枚目の写真)。
  
  
  

5軒目の最後が、本人だった。ドアをノックしても反応がないので、家の裏に回り、鉄の裏木戸の向こうで庭の手入れをしている夫人を見つける。「パーカーさん?」。すぐ誰か気付いた夫人は、「何を持ってきたの? 他の映画?」と手厳しい。「僕… ごめんなさいを言いに来ただけです」。「そう、今頃謝る訳ね」、そして、「君が撮影したもの、カメラが捉えたものは、たぐい稀なものよ。私は、本物だと信じてる。でも、あれは私だけのもので、君はそれを冒涜したの。そもそも、なぜ私の夫の埋葬を撮影したの? 他の人の埋葬も撮影してるし。他人が悲しみ嘆くのを見るのが好きなんでしょ? 君のしたことは、私の深い悲しみをジョークに変えたのよ。君はまだ子供だから、心の痛みなど分からないかもしれないけど」。この厳しい叱咤の言葉にルーカスは必死で自分の思いを述べる。「聞いて、パーカーさん。子供だから、心の痛みなど分からないなんてこと ありません。僕は兄さんを亡くしたんです。僕の一番の友達でした。とっても幸せな家族でしたが、兄さんが死んで、すべてが変わりました。毎日、寂しいんです。だから、時々、代りに僕が死んでればよかったと思うんです。埋葬をジョークにする気などありません。最悪でした。多くの人々があなたにひどいことを書いたりして。ごめんなさい。僕がここに来たのは、それを謝るためです」(1枚目の写真)。そう言って去って行くルーカス。心を動かされた夫人は、ルーカスを呼び止め、「マーティンは、今は天国にいる。そう信じるようになったの。私はそれを受け入れ、自分の行き方を見つけたの。だから、あなたも同じようにしたらどうかしら?」。その後で、クリスの家を訪れたルーカス。「兄さんのことは 残念だったな。愛する人を失った時の気持ちは、俺もよく分かる」。「ただ… 分からなかったんだ」(2枚目の写真)。「どういう意味だい?」。「毎日が寂しかった。でも、どうしようもなかった」。「辛いな。愛する人を失ったら、寂しさを止めることなんてできない。戻れるなら 過去を変えたいと願ってるんだろうな」。ルーカスの寂しそうな顔が美しい(3枚目の写真)。「しかしな、いつの日か、破片を拾い集めて、新しい生き方を始める時が来るんだ」。クリスは、ルーカスの悲しみを治してやろうと、ゴーカートに連れて行く。久しぶりに心からエンジョイするルーカス(4枚目の写真)。
  
  
  
  

ここから、あらすじ2節分だけ、映画に違う要素が加わる。それは11歳の淡い恋。学校の「春のめちゃめちゃダンス(Spring Madness Dance)」に一緒に行く女の子として、隣の子に白羽の矢を立てたのだ。映画の冒頭では、あまり興味を示さなかった子だ。ゴーカートの後、クリスに「ただの女の子だよ」と打ち明けるが(1枚目の写真)、「フフフ」と笑われて、「だけど、クールなんだ。僕たち似たところがいっぱいある」(2枚目の写真)、「ダンスに誘おうと思ってるけど、やり方が分からない」。クリスはいろいろな「誘い方」を提案するが、ああだこうだと反論され、「君には創造力がある。自分で考えるだな」と匙を投げる。結局、ルーカスは、少女が学校の音楽室でチェロの個人レッスンを受けている間に、ぬいぐるみで気を惹く独自の方法を開発し、最終的にOKをもらう(3枚目の写真)。
  
  
  

朗報を持ってクリスの家に真っ先に報告に行くルーカス。「クリス、イエスって言ったよ」。ものすごく大きな目だ(1枚目の写真)。「やったな! 待てよ、ダンスの仕方知ってるのか?」。知らなくて、悔しがる表情も面白い(2枚目の写真)。クリスは、ルーカスを家に呼び入れ、ダンスのコツを教えてやる(3枚目の写真)。ここまで来ると、2人はまさに親友の域に達している。幽霊ビデオの時の関係とは大違いだ。ダンスの衣装は、なぜかドラキュラ風。オールバックにした姿は、かえって幼く見え、なかなか可愛い(4枚目の写真)。同じような衣装で来た少女と、持参したウォルター・マーフィーの『A Fifth of Beethoven』(1976)で、息の合ったダンスを披露する。ロマンス的な要素はここまで。映画は、この先、最後の悲しい人生ドラマへと移行する。
  
  
  
  

翌朝早く、ルーカスは昨夜の大成功を報告しにクリスの家に自転車を飛ばす。ところが、ノックしても応答がない。鍵が開いていたのでそのまま中に入り、「クリス、きっと信じられないよ。ベートーベンの5番、大受けだったんだ」。それでも返事がない。開いたドアまで来たところで、ドアの向こう側に倒れて胸を押さえているクリスを発見(1枚目の写真)。2度目の心臓発作だ。すぐに救急車を呼ぶ。救急車に同乗して一緒に病院まで付いて行く。すぐにERへ。待合室で待たされ、ようやく病室に呼ばれた時には、クリスの意識は回復していた。「大丈夫? 何が起きたの?」。「心配するな。何ともない。俺は大丈夫だ」(2枚目の写真)。「床に倒れてた。死んじゃうかと思ったよ」。「感謝してるよ」。「どこが悪いの?」。「医者の説明では、俺の心臓は元々弱いそうだ。この前、死にかけた原因もそこにあるんだと。奇跡的に生きのびてきたみたいだ」。急に心配になったルーカス。「なぜ、話してくれなかったの?」(3枚目の写真)。「こんなこと、あまり考えたくなかったからな。それより、両親にはちゃんと連絡したのか?」。心配りの行き届いた人間だ。頷くルーカス。「それならいい。ところで、ダンスはどうだった?」。「それより、ホントに大丈夫なの?」。そこに両親が駆けつける。母とクリスと面識がある程度、父は初対面だ。病人を心配してルーカスを連れて帰ろうとする母に対して、「僕、クリスと一緒にいる」と言うが、クリスは家に帰らせる。ルーカスは、兄と同じくらい好きになったクリスの容態を心配しながら渋々帰宅する。
  
  
  

ルーカスは、翌朝、母と一緒に病院を訪れる(1枚目の写真)。ところが、受付の女性は、「もうここにはいません。ホスピス介護になっています」と答える〔つまり、治る見込みがないことを意味する〕。意味が分からなくて、「それ何?」と訊くルーカスに、母は言葉が詰まって「あのね、別の種類の病院に移ったの」と口をにごす。2人で公園に行き、ルーカスに、「お友達のクリスさんに何があろうと、あなたは1人じゃないの。ママがいるわ。パパもいる。私たち家族でしょ。これからもずっと一緒よ。約束する」。思わぬ母の言葉に、「クリス、死ぬんだね?」と訊くルーカス(2枚目の写真)。母の返事は、キスして抱きしめることだけだった。兄に続いて、クリスまで失う。自分の部屋に戻り、ショックで呆然としながらパソコンを見るルーカス(3枚目の写真)。ヒット数は15,422,865に達しているが、動画をネットから削除する。もう、それどころではないのだ。
  
  
  

セラピーでは、元気が全くない。「今日は、パラパラ漫画はないの?」〔パラパラ漫画はルーカスの趣味〕。「ううん」。「何を考えてるの?」。「友達のルーカスに腹を立ててる。嘘付きなんだ」。「なぜ、嘘付きだって言うの?」。「いつも 生き方について話してた。実は、いつ死んでもおかしくなかったのに」。「じゃあ、あなたは、死ぬことに専念すべきだったと思うわけ?」。ルーカスには、返す言葉がない(1枚目の写真)。「先生の言う通りだ(I guess you have a point)」。いつもは生意気なルーカスだが、今日ばかりは違った。ルーカスは、ホスピスにお見舞いに行く。クリスは元気そうだ。「やあ、ルーカス、久し振りだな。元気にしてたか?」(2枚目の写真)。「大丈夫だよ」。挨拶の後、「最近、どうしてる?」と訊かれ、「考えてたんだ」。「何をだい?」。「自己改革(reinvent)しようかなって」(3枚目の写真)。「ホントか? 監督としてか?」。「それで、助けて欲しいんだ」。「いいとも」。こうして、クリスを巻き込んだルーカスの映画製作が始まる。
  
  
  

出演者は、ルーカス、クリス、両親、ダンスに行った少女、パーカー夫人、そして、12歳のジェイク〔昔、ルーカスが撮った映像〕。映画には、ルーカスのナレーションが入っている。「かつて 偉い人が僕に言いました。『人生のすべては 今を生きることだ(life is all about living the now)』と。少なくとも、僕はそう解釈しました」。この部分は、昔、ルーカスがネットでクリスのサイトを調べていた時に見たビデオでの発言を受けたものだ。「天国があるかないかは知りませんが、それは私の体験によるものです。しかし、そこで私は、死からは誰も逃れられないと悟りました。だからといって、これが人生だと思わないで下さい」。ルーカスのナレーションは続く。「人生とは、魔法のような一時の連続です。中には、理解できるもの、できないものがあります。悪いことも起きますが、それは全体の一部に過ぎません。大切なことは、悪いことをくよくよ考えのではなく、先へと進むことです。生き続けて、集中するのです。人生に」。映画は、現在と過去の様々なシーンをつなぎ合わせたものだが、人生への賛歌となっていた。それを観て拍手する出演者たち(1枚目の写真)。女の子からはキスされ(2枚目の写真)、母からは抱きしめられる(3枚目の写真)。
  
  
  

しかし、最も感動的なのは、その後のクリスとの会話だろう。死の近いことを覚悟したクリスが、とつとつとルーカスに語りかける。「ルーカス、君には才能がある。真実を探すのを止めるんじゃない。いいな? 誰も 答えが分かっている訳じゃない。ただ、ベストを尽くそうとしてるだけだ。みんな、自分なりのやり方で死と向かい合ってる。永遠の別れ… 最高に辛い。君にとって、ジェイクは かけがえのない存在だった。だから、寂しがるのを止めちゃいけない。ジェイクの思い出は、君の一部になっている。それでいいんだ。それによって、ジェイクは君の一部になれるからな。悪いことが起きても、前向きに生きろよ。どんな体験も、貴重だから。そして、すべての体験も、結局は終わる。それが人生なんだ」。「お願い、死なないで」(1枚目の写真)。「君の人生は、これからだ。素晴らしい人生だろう。俺も その一部になれて嬉しいよ。ありがとう」(3枚目の写真)。この部分、“Chasing Ghosts”のかけらもない。実にタフな人生ドラマになっている。2枚目の写真は、クリスが話している間に挿入されるシーンだが、実際には、クリスが死んだ後、ジェイクの部屋〔死後、開かずの扉になっていた〕に入っていくことを決意した場面。これが、最終シーンへとつながっていく。
  
  
  

ルーカスの決断を受け、家族でジェイクの部屋の整理をする。ルーカスを抱きしめて勇気付ける母(1枚目の写真)。部屋の中にあったものは、貴重なものはダンボールに入れ、不要品は廃棄し、部屋は何もないまっさらの状態に。ジェイクに対する記憶は、開かずの部屋にあるのではなく、ジェイクとの楽しい記憶そのものだと悟った結果だ。こうして、ジェイクの死を乗り越えた3人は、笑いながら昔の写真を見ることができるようになった(2枚目の写真)。そして、記念日には、ジェイクのお墓の前で、ピクニックをしてジェイクを偲んでいる。ジェイクは、3人の心の中でしっかりと生きているのだ(3枚目の写真)。
  
  
  

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